【テキスト講義第2回目】瞑想とはなにか

瞑想のイメージってどんなの?

瞑想と聞くと、年代によってそのイメージが大きく分かれるところがあるようです。マインドフルネス、ヴィパッサナー瞑想、TM瞑想、禅、「これって瞑想だよね?」と思われるものはだれにでもなんとなく浮かぶと思いますが、一言で「これが瞑想だ!」と言える人は少ないかもしれません。瞑想というのはそれらすべてのことを指します。ですので、大まかなイメージとしてはこんな感じになります。

瞑想をスポーツに例えると分かりやすいでしょう。スポーツには野球もサッカーもボクシングも様々にあります。それらすべてをまとめて「スポーツ」というように、「瞑想」というのは一つのカテゴリーとして捉えられます。坐禅やヴィパッサナー瞑想、TM瞑想、阿字観などはすべて「瞑想」の中の一つの技法です。

ただ、それらすべてが瞑想だといっても、「瞑想とはなにか」について答えたことにはなりません。それでは、瞑想の定義とはなんでしょうか。

一般的な瞑想の定義

wikiによると瞑想とは「心を静めて無心になること、何も考えずリラックスすること、心を静めて神に祈ったり、何かに心を集中させること、目を閉じて深く静かに思いをめぐらすことなど」とあります。しかし、それでは、瞑想でやることを羅列しただけで今一つ的を射ません。それでは「スポーツとはなにか」と聞かれた時に、スポーツとは、「蹴ったり殴ったり走ったりするものだ」と答えるようなものです。それらは間違いではありませんが、広義に過ぎます。その曖昧さが、瞑想というものを掴み辛くしている原因の一因になっているともいえるのではないでしょうか。

そこで、瞑想に対する理解のために、もう少し一般的な定義を挙げてみましょう。

・瞑想とは心の状態を改善させる技術
・瞑想とはリラックスするための方法
・瞑想とは執着を離れる技術
・瞑想とは知恵によって苦しみを打ち破る技術
・瞑想とは真理を知るための手段

ここではひとまず、瞑想というのは、実践する人の目的に応じて、様々に定義することができる懐の広いものというに留めておきましょう。

まとめ&ワーク

まとめ

身体を鍛えるのは「運動」

知能を鍛えるのは「学習」

精神を鍛えるのは「瞑想」

そんな風に言ったらもっとわかりやすいかもしれません。

そして、運動の成果は「体力」によってはかり、

学習の成果は「知力」によってはかり、

瞑想の成果は「幸せ」によってはかります。

ワーク

自分にとって「瞑想とは何か」を一言で言い表せるようにしてください。

答えが正しい間違っているはありません。
今の自分にとって「瞑想とは何か」を考えてみてくださいね。

ワークの提出

ワークは下記フォームから提出していただけます。
頂いた内容には基本的にお答えしませんが、どのように取り組まれているかをこちらで拝見させていただきます。

こういう講義は独りで向き合わなければならないため、どうしても学習効率が下がります。

そこで、このような課題の提出を通して、
ご自分の学習のモチベーションアップにつなげて頂ければと思います。

おまけ

今回は瞑想の定義について考えてもらいました。

ところで、ぼくは「定義」というものをものすごく大切にしているんだけど、なぜだかわかりますか?
それは、定義があいまいだと全ての答えがズレてきちゃうからなんだ。

例えば、「私は旅行が趣味です」という人がいたとします。
でも、よくよくその人に話を聞いてみたら、彼女のいう「旅行」というのは、隣町のスーパーに買い物に行くことだとしたらどうでしょう。きっと「それは旅行じゃないよ」って思う人がほとんどだと思います。

じゃあ、どこまでいけばあなたにとっては旅行になりますか?
例えば、あなたの恋人が「今週末は旅行に連れて行ってあげるよ」と言ってくれたとします。
だけど、恋人の「旅行」は、隣町のデパートの試食コーナーかもしれません。

つまり、定義という出発点が人それぞれだと、納得というゴールに行き着かないんです。

今日からパナシーア瞑想の講義がこうして始まりました。
最後にはみんなで同じゴールを切りたいと思っています。

そのためにもまずは、しっかりと定義を学んでいってほしいと思います。

歩むペースは人それぞれで構いません。
でも、歩む道はみんな同じ道を通っていきましょうね。

それは3000年受け継がれてきた「人類の叡智」という道なのですから。

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